40歳になって、
ふと立ち止まり、これまでを振り返ってみた。
きっかけは、最近の自分の変化だった。
これまで「自分には不得意」と思い込んで、
やらなかったことを、
気づけば少しずつやっている自分がいた。
そのことに気づいたのが、
たまたま40歳という年齢だった。
思い返してみると、
これまでの人生の中で、
何度か自分に負荷をかけてがんばってきた場面があった。
小学生のころの、
漢字力テストや計算力テスト。
勉強が好きだったわけではない。
欲しいものを買ってもらえるから、がんばった。
とても分かりやすくて、
素直な理由だった。
今思えば、
あれは無理ではなく、
自分で選んでいた負荷だったのだと思う。
高校生になると、3年間のアルバイト生活。
お小遣いがほしくて始めたけれど、
職場環境がとてもよく、
どこか部活のような感覚だった。
仲間がいて、空気がよくて、
一緒に動くことが自然だった。
あの時間も、
自分にとってちょうどいい負荷だったのだと思う。
専門学生時代には、
身体障害者施設への泊まり込み実習があった。
厳しい環境だったけれど、
逃げたいと思うこともなく、
気づけば終わっていた。
ただ、最後の実習だけは違った。
老人ホームでの実習。
一度、逃げた。
あの時は正直きつかった。
それでも気持ちを整理して、
最終的にはやり遂げた。
今振り返ると、
あれも自分なりの経験として
残っているのだと思う。
結婚してからは、
子育てと生活に追われる毎日だった。
節約はしていたけれど、
不思議と不安はなかった。
先のことを深く考えるより、
目の前の生活を回すことに必死だった。
貧しいながらも幸せで、
だからこそ自然とがんばれていたのだと思う。
子どもがまだ小さい頃、
1歳と2歳を連れて資格を取りに行ったこともある。
泊まり込みでの1週間。
大変だったけれど、
「自分も手に職をつけたい」という思いが強かった。
だからあの時も、
必死に頑張ることができたのだと思う。
一方で、
「がんばらなきゃ」という気持ちだけで、
踏ん張り続けた時期もあった。
あるパート先で、
人間関係の悪さを感じながらも働き続けていた。
自分の気持ちよりも、
「続けなきゃ」という思いを優先していた。
今思えば、
あれは負荷ではなく、
無理だったのだと思う。
その仕事を離れ、
別のパート先で働くようになった。
そこは環境がよく、
人にも恵まれて、働きやすい場所だった。
それでも、
家の収入を支えるために働く時間を増やし、
自分を追い立てるように働き続けた結果、
血管性浮腫という形で、
体が限界を教えてくれた。
その経験があったからこそ、
ようやく分かってきたことがある。
負荷と無理は、違う。
負荷は、
自分で選んでかけているもの。
無理は、
自分を守る感覚を無視してしまうもの。
結局のところ、
「負荷をかけよう」と思って
生きてきたわけではない。
その時その時を、
ただ必死に生きてきただけだったのだと思う。
そしてもう一つ、
振り返って気づいたことがある。
私はこれまで、
ただ流れの中で生きてきただけだと
思っていた。
でもこうして振り返ってみると、
その流れの中で、
ちゃんと経験を積み重ねてきていたのかもしれない。
人生って、
後から意味をつけているだけなのかもしれない。
それでも、
振り返ることで
見えてくるものもあるのだと思う。
私も、
まだその途中にいる。
だからこそ、
これからも考えながら生きていきたい。